キングダム:王騎という人物について語りたい


3000万部の発行部数を誇る大人気コミック『キングダム』では、さまざまなアツいキャラが登場する。それも、各々が自らの哲学を持った上でぶつかり合うため、例えば嬴政を支持する櫃もいれば呂不韋を支持する人もいる、といった具合で、推しキャラが分かれることは必至だろう。
しかし、その中で人気票を最も獲得しているであろう人物は容易に想像がつく。「王騎」将軍である。16巻にて路半ばに倒れてしまったキャラではあるが、死後における作中での影響力も、読者間での人気度も圧倒的に高い。
今回は、その大人気にして正真正銘の大将軍「王騎」という人物について、

  • 史実ではどうだったのか
  • 名言/名シーンで振り返る王騎のスゴさ、カッコよさ

の観点から紹介していきたい。

史実①:王騎という人物は、史実上でも大将軍だったのか。

コミックでこれほど偉大に描かれている王騎だが、世界史好き・中国好きの人でもその名をあまり耳にしたことはないのではないだろうか。ただ、実在した人物であることは間違いない。というのも、「史記 秦始皇本紀」において次のような記述がある。

蒙驁・王齮・麃公等、将軍と為る。王、年少く、初め位に即くや、国事を大臣に委ぬ。

つまり、嬴政がまだ幼く、政治を大臣(丞相:呂不韋)に政を任せている時期に、既に王騎は将軍に任命されていたということだ。そして、その時期に王騎と並んで戦場を指揮していた人物として、「麃公」将軍、「蒙驁」将軍の名が挙がっている。ただ、その後王騎に関する記述はほぼない。というのも、

蒙驁、韓を攻め、十三城を取る。王齮死す。

との記述があり、紀元前247年に将軍に任ぜられたと上述されてから、わずか3年で没してしまっているのである
あれ….?あれれ…?将軍で合ったことは間違いないが、活躍が全く歴史書に記述されていないではないか!王騎の活躍は、『キングダム』上の完全なる脚色だったのだろうか。

コミックにおいてもわずか16巻にして離脱してしまう…

史実②:王騎と王齕は同一人物だった!?

必ずしもそうとは言い切れない、ということを裏付けるとある説がある。それは、『キングダム』にて六代将軍とされている王齕が王騎と同一人物であるというものである。これは宋の時代より存在している説であり、『史記集解』という史書において
「齮」字について「一に齕に作る」
と述べている。つまり、「騎」と「齕」は同じ字であるという意味である。そうであれば、『史記 秦始皇本紀』での「王騎」と『史記 秦本紀』での「王齕」は同一人物であったことになる。尚、『秦本紀』では、「王齕」の活躍が記載されており、主に趙との戦いで奮闘、後に魏の軍勢も破る等の記載がある。王齕と王騎が同一人物であったとするならば、コミックと同じように一時、猛威を振るっていただが前線を退いた。その後再び嬴政に将軍に任じられた形となるのだろう。

ちなみに…史実における嬴政の意外な一面を紹介した記事はこちら。

 

名言/名シーンで振り返る王騎①:夢を追いし熱き漢

熱き夢を求める戦場は無くなります

昭王と共に駆ける戦場以外に夢はないと語る王騎

王騎が愛した戦場は、中華統一という偉大なる戦神昭王が求める為のものであった。昭王がいなくなった後には、その夢もまた潰えてしまう。ただ語るだけの夢を説く王の器を見透かす王騎にとって、昭王亡き乱世は、もはや興味の対象ではなくなってしまったのだろう。ただの戦馬鹿ではなく、その先に見る夢とそれを実現するための実力を見た上で、王の品定めを行う王騎は、やはり他の将軍の数歩先をゆく。

名言/名シーンで振り返る王騎②:鋭いまでの本質を見抜く眼

六将制度がすごいのではなくて その前に我々六人が桁外れに強かったというわけです

六将制度の復活によりかつてのような時代に戻るのでは..?という信の問いに対し、制度は制度と答える王騎

王騎のスゴさの1つとして、物事の本質をよく見抜いているという点が挙げられる。上記のシーンで、「六将制度を復活させたら、かつての猛威を振るった秦の時代にまた戻れるのではないか」と発言する信に対し、本質は制度ではなく人の威であると返した。六代将軍という肩書きや六将制度という形式など、見え方でしかなく、それ自体には大した価値はない。彼の発す言葉には学ぶに足る内容が多いのだが、それ以上にその発言をするに至った思考・哲学は、さらに学ぶべきと言えるだろう。

名言/名シーンで振り返る王騎③:仲間の想いをひたすら背負う

命の火と共に消えた彼らの思いが 全て この双肩に重く宿っているのですよ

龐煖との一騎打ちの中で、王騎の一撃が重いのは今まで散っていった者たちの想いを双肩に宿しているからだと語っている。自らが六代将軍であり、大将軍であるという自負から、一見、部下やほかの者たちを軽んじているように見えてしまう瞬間がある。しかし、王騎は誰よりも仲間想いであり、敵にも当然敬意を表すこともある。自らの最期を悟った際、誰一人として後を追うことを禁じ、そして、力がありながらも自分につき従い続けてくれた騰に最期の謝辞を伝えたりと。廉頗を自宅に招き戦場に戻ることを勧めるあたりに、国を越えた相手への敬意も感じられる。

 

何故、王騎はカッコいいのか

上とオーバーラップする内容となりがちではあるが、王騎のカッコよさは見た目ではなく(デカすぎるタラコ唇を持った彼は、お世辞にもイケメンとは言えない…。)その生き様、言動から感じられるものだろう。何がここまで王騎を王騎足らしめているのか。

■大将軍としての自負

要素の1つそして決定的なものとして、「大将軍としての自負」を持っていることが挙げられる。そしてこの自負は過剰でも過少でもなく、分をわきまえた自負である。列国に大将軍として名をとどろかせている自分が動くと、相手はどう反応するかそれを弁え、理解した上で自らの立ち振る舞いを決める。その自負・自信とそこに垣間見える仁徳に惚れる。

最期の戦場にて、信に将軍たるとはどういうことかを「見せる」王騎

 

■美しいまでの忠義・忠誠心

昭王の死後、なぜ王騎は鉾を置いてしまったのか。昭王の死により、戦う理由がなくなってしまったからである。国でも自らの欲の為でもなく、昭王と共に駆ける戦場を、彼はこよなく愛していた。王騎が昭王と共に戦場を駆けたのは、昭王が見た夢に自分も憧れたからである。その夢を描く王、そしてその路を実現するに足る王であったからこそ、山より高く海より深い忠義心を昭王に対して持っていたのだろう。
そして、その夢は嬴政もまた憧れる夢であった。結果、王騎は嬴政にも忠誠を誓ったのである。

昭王の死と共に戦場を去った王騎に、新たな夢を見させることを約束する嬴政
王騎の戦う理由は、一重に「夢」のため

 

■ギャップ

一説によると(筆者による)、王騎のカッコよさはギャップによる補正がものすごく大きいのではないかとのこと。画力のギャップ。最初出てきたときは、「大将軍」という肩書はありつつも、カッコよさは皆無。むしろタラコ唇のオッサンという印象しかなかった。しかし、画風?画力?の変化もあり、

あれ?ダサいと思っていたはずの王騎が地味にカッコよくなっている…。
なんなら、恰好だけではなく言動もめちゃくちゃカッコいいじゃないか…!

となり、振れたのではないか、と。

王騎は、将軍には知略で戦う者と、本能で戦う者の2者がいると言っていたが、それと似て、人には第一印象から飛ばしていく者と、ジワジワと深くその魅力を植え付けていくタイプがいる。コミック上での王騎は圧倒的に後者だろう。現在50に近い巻数が出ている中で、僅か16巻に逝ってしまったキャラがここまで愛されたことはないはずだ。

まだ、『キングダム』を読んだことがない者には、是非ともお勧めしたい。

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